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山形県産品ポータルサイト いいもの山形

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Feelに出会う、瞬間。風が織りなす、いろどり。

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いいもの山形通信vol.4で探るのは、山形の美しい自然を吹き抜ける四季折々の風によって彩られたプロダクトと、それを手がける生産者の話。自然界にある色や光、香と音。山形だからこそ、必然的に生まれた物語の一片を探る旅に、一緒に出てみませんか。

山形は、かつて東北を巡った探検家の心を、その豊穣な暮らしぶりと穏やかな情景で虜にした。またあるときは、同じく東北を巡ったデザイナーを民芸の技術レベルで驚かせ、何も知らぬ農村部の者たちへ仕事を頼み、自らの作品を手がけたそうだ。以来、それらの逸話は時代を超えて、長く語り継がれることとなる。

地域に息づく風土と文化に触れ、心動かされた彼女たちは、英国人女性の探検家であり紀行文作家であるイザベラ・バード。そして、20世紀を代表するデザイナーのひとりであるフランス人女性デザイナー シャルロット・ペリアンである。この地に根付いた豊かな風土と、卓越したものづくり技術の発見は、彼女たちにとって、みちのく=未知国(みちのくに)での些細なできごとだったのかも知れない。だが、それらは結果的に山形が持つポテンシャルを、世界中に知らしめることになった。

県域の7割を山地が占め、冬季間には農業をはじめ、仕事がままならないほどの積雪がある。気温の寒暖差は激しく、そびえ立つうつくしい山々は豊かな恵みを与える一方で、乏しい日照条件を人々に約束する。そんな厳しい環境は、いつしかものづくりの精神に魂を吹き込み、この山形をものづくりの都とした。

Feelに出会う、瞬間。あなたなら何を思うのだろう。この地の風が織りなすいろどりや、土が育むやさしさが生むすばらしき製品の数々は、どのようにして出来上がったのだろう。いいもの山形通信では、プロダクトとその生産者の背景を、五感を通して紐解いていく。

カバー写真 撮影地:幻想の森(戸沢村)

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佐藤繊維株式会社

山形生まれの
ひとすじの糸は
風となって世界を廻る

山形県寒河江市 / 佐藤繊維株式会社

出羽三山としても知られる月山をはじめ、朝日連峰や奥羽山脈など、雄大な山々に囲まれた寒河江市は、山形県のほぼ中央部に位置する自然豊かな都市。清流・寒河江川と、同県をおおきく縦断する大河・最上川が市街地を囲むように流れ、そこに広がる肥沃な大地では、米やさくらんぼをはじめとする、高品質な農産物の栽培が盛んにおこなわれている。また、日本海側と太平洋側を結ぶ山形自動車道が整備され、同県高速交通網の要衝となっている。

同市では、古くは冬場の農閑期に、農家の生業として養蚕がなされていた。それは、明治期に入った頃から、羊毛を主原料とした紡績業へと移行していった。今では数社を残すのみだが、昭和後期のピーク時、山形には400社を超えるニット関連企業が存在していたというから驚きだ。『佐藤繊維株式会社』も、1932年に創業した紡績会社のひとつだが、現在は紡績業のみならず、ニット製品の企画・製造をおこない、その品質とデザインで世界に名を馳せている。また近年は、自社ブランドを精力的に展開し、2015年にはファッションと食、ライフスタイルを提案するセレクトショップ『GEA』をオープンするなど、紡績業の枠に収まらない独自のビジネススタイルで、世の注目を集めている。一本の糸づくりにはじまった、佐藤繊維のものづくり。その原点を、代表取締役社長であり、糸作家・デザイナーである佐藤正樹氏に訊いた。

風土に育まれた、
寒河江市の紡績業

なぜ寒河江市で、紡績業が広まったのでしょう。

佐藤 この辺りには、紡績業に必要なものすべてが揃っていました。農家が多い土地柄で、農業ができない冬場になると、収入を得るひとつの手段として養蚕をする文化があった。また冬場には、家畜も屋内で育てていたので、それらを羊に置き換えらえるのではと、明治期に日本政府から羊の飼育に適していると注目されたのです。当時の日本は軍事目的の使用を含め、日本に入ってきたばかりの繊維・ウールの生産が必要だったのです。そして、この辺りの農家に蚕の代わりとして羊を育てさせたのが牧羊のはじまり。寒河江における紡績業の起こりです。羊毛は刈り取ったあとに大量の水で洗浄する必要がありましたが、月山の雪解け水という豊かな水源があったため、年を通して糸づくりに困ることはありませんでした。また、農家も羊を飼育することで、経済的に豊かになれたのです。思うに、はじめは農業の一環で、地域の風土として成り立っていったのが寒河江の紡績業なのでしょう。

近年に入り、寒河江の紡績業は安価な海外製品におされ衰退していきましたが、時代の流れとともに消費者のニーズも変化していきました。“売れているから、安いから買う”ではなく、その製品の背景にどれだけのストーリーがあるのかが、購買を決める重要な要素となってきたのです。トレンドから個性の時代になったとき、注目されるのは生産者のものづくりの感性。何もないと思われがちな田舎には、田舎だからこその山の緑や川のせせらぎ、自然というインスピレーションがある。それは、新たな製品を生み出す力になります。紡績業にはじまった、ここ寒河江でしかできないビジネスを、僕たちはやっているのです。

紡ぎ出すのは、
無限の組み合わせ

糸も編地も、デザインも、無限にある可能性のなかで、どのように製品をイメージするのでしょう。

佐藤 工業化が進んだ現在、紡績機には大型化と合理化が求められますが、僕らは工夫や手間こそかかりますが、糸づくりに一番理想的な構造をもった、古い紡績機を今でも使用しています。どんな材料でも糸にしてしまえる、僕らのものづくりに欠かすことができない存在です。また、現在のファッション業界ではトレンドが重要視されていますが、僕らはあえてトレンドを追わず、つくりたい糸、つくりたい製品をつくることを一番大事にしています。まだ市場に出回っていない製品をつくるので、ファッションというよりも、アート寄りの考え方なのかも知れません。

そのためには、原料のこともよく知らないといけない。だからこそ、世界各国の羊を見る旅をします。すると、現地の人々の営みや、何百年も続くこだわりを感じることができます。ファッションの概念を理解するのはもちろん、原料と糸一本からのものづくりにこだわることで、自然とどんな製品をつくりたいかは見えてくるのです。

新しい文化を、山形から

佐藤さんのものづくりへのパッションは、どこから生まれてくるのでしょう。

佐藤 小さい頃から、好きなことには周りが見えなくなるほど夢中になるタイプでした。高校時代にはボクシングにのめり込み、世界チャンピオンになることを目標にしていました。しかしその夢が破れてからは、長く夢中になるものを見つけられずにいました。それが山形に戻って、ものづくりの仕事に携わるようになったとき、「僕は世の中にないものをつくり出せるんだ」と思えたのです。ものづくりは完成された世界のように思われますが、ちょっと道をそれるだけで、誰もやったことがないものができあがる。世の中にまだないものがつくれるなら、これほど面白いものはないと、どんどんこの世界にのめり込んでいきました。今ないものを、つくる。これが僕が仕事をするうえで欠かせないパッションになっています。

僕は経営の勉強も何もしてきていなくて、ただ自分がやりたいと思ったことを貫いてきました。現場で経験を積みながら、いつも新しいなにかをつくりたいとうずうずしています。今の時代、10年後の世界がどうなっているかなんて誰にも分からないのだから、自分が夢中になれることを見つけて、追いかけた方がいい。これからも僕は、地方からいろんな文化を発信していきたい。ここ寒河江も世界とつながっているのですから。

佐藤繊維株式会社
  • [住所]
  • 〒991-0053
    山形県寒河江市元町1-19-1
  • [TEL]
  • 0237-86-3134
  • [取り扱い商品]
  • 糸・ニット製品
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株式会社日々

大地が育むリンゴの
新たな可能性を探して

山形県新庄市 / 株式会社日々

新庄市は、山形県の北東部に位置する最上地域の中心都市。市街地の東側には、神室山から杢蔵山まで続く美しい尾根の稜線が望め、西側には最上川が豊かな流れを湛えている。岩手県の遠野市に並ぶ民話の宝庫であり、また、絢爛豪華な山車行列とともに、神輿行列が市中を練り歩く新庄まつりは、2016年にユネスコ無形文化遺産へ登録されるなど、個性豊かな地域風土も魅力だ。日本有数の豪雪地帯としても知られ、冬場には平地でも1mを超す積雪があるが、それは春の訪れとともに豊富な雪解け水となり、地域の大地を潤している。

『株式会社日々』は、そんな新庄市の片隅にある地域唯一の果樹専業農家であり、リンゴを中心とした果樹の栽培と、収穫したリンゴからつくられる、ジュースなどの加工品販売を手がける企業である。その加工品は、「リンゴリらっぱ」というとてもユニークなブランド名で販売され、果実の個性を生かした味わいと、思わず手に取って見たくなるような、愛くるしいパッケージで注目を集めている。ここでおもしろいことに、同社の果樹栽培は生食の用途を目的としていない。あくまで加工用に特化し、あえて堆肥は与えずに、また、可能な限り農薬も使っていない。寒冷多雪の地域での果樹栽培には苦労がつきものだろうが、土地の持つ力と自然に委ねた栽培方法を採用しているのだ。思うに、かなり独自のスタイルを、同社は打ち立てようとしているのではないか。なぜこの場所で、なぜ「リンゴリらっぱ」は生まれたのだろう? そんな問いを、代表の佐藤春樹氏と、果樹園の責任者である遠藤拓人氏に訊ねた。

祖父の思いと、
リンゴ畑を受け継いで

なぜ「リンゴリらっぱ」はこの場所で生まれたのでしょう。

佐藤 今の事業のすべては、祖父の果樹園を受け継いだことではじまりました。私の祖父は昭和のはじめに、新庄市に移住してきました。そして、地域の人においしい果物を食べさせたいという一心で、リンゴや栗、梨などを自ら開墾した畑に植えて、「荒井りんごや」の名で地域で唯一の果樹園をはじめたのです。最上地方の冬の厳しさ、日照条件などを考えれば果樹栽培に適さない場所でしたが、祖父の努力もあってか果実は実り、なかでもリンゴはおいしいと多くのお客様に恵まれたそうです。それから半世紀以上の間、祖父は厳しい自然環境と戦いながら、自分の農業をこの地で貫いてきました。

幼いころに、果樹園で過ごした記憶があります。楽しそうに仕事をする祖父の姿に憧れて、いつかは自分も農業をやりたいと思ったことを覚えています。大人になった私は、いつしか里芋農家としての道を歩んでいましたが、ある日、祖父の余命がわずかであることを知り、“爺ちゃんが大事に育てたリンゴ畑を無くしてはならない”と、すぐに果樹園を継ぐ決心をしました。そして同時に、ただ引き継ぐのではなく、爺ちゃんが残してくれたリンゴを使ってなにかおもしろいことはできないかと考え、たどり着いたのが、リンゴを加工用の素材として栽培し、その加工品を販売する事業「リンゴリらっぱ」でした。

果実を原料としてとらえ、その可能性を探る

ジュースなどの製品は、どんなリンゴでつくられるのでしょう。

佐藤 私は真室川町で、伝承野菜である「甚五右ヱ門芋」という里芋を育てる農家もやっています。そちらでは以前から農薬を使わない農法を手がけていたので、リンゴも同じく極力農薬に頼らない栽培ができないかと考えました。堆肥を使わずに果樹の生命力にまかせて、摘果などの人の手を加えずに、できるだけこの地域の自然そのままに育ててみようと試みたのです。結果として一般的な大きさよりひと回りほど小ぶりな果実が実り、味わいは甘かったり酸っぱかったり、ときには苦味が強かったりと、祖父がつくっていたころのものとは、また違ったリンゴを収穫することができました。確かに、生食用と比べたら見てくれは悪いし、たまに虫食いだったりもしますが、品種によって異なる味わいがストレートに感じられて、これでつくったジュースはおいしいはずだと確信できたのです。現在は早生種だったりフジだったり、苦味の多い品種だったりと、園で収穫できるそれぞれのリンゴを使ったジュースのほか、県内のワイナリーに醸造をお願いしたシードル、最近では「ウホウホビール」の名で、リンゴ果汁にホップを加えてつくるクラフトサイダー(発泡酒)など、お酒の取り扱いも開始しています。

遠藤 僕たちは自然派ワインを扱うような感覚で、リンゴの栽培と加工品開発に取り組んでいます。自然に委ねて栽培すると、同じ品種を同じ工程で加工したとしても、収穫年によって味も香りも違ってくる。だから、今年のリンゴはどんな風に仕上がるのかと、毎年の収穫が楽しみでなりません。一方で自然任せの栽培はリスクも多く、一度、大不作も経験しましたが、反省を生かしながらこれからも僕たちが目指す加工用リンゴの栽培に取り組んでいきたいと考えています。

ものづくりを通し、地域とともに歩みたい

これから株式会社日々が目指す目標はなんでしょう。

佐藤 加工用のリンゴ栽培に徹しながら、品種のそれぞれの持つ可能性を引き出し、素材としての価値を高めていきたいと考えています。しかし、どんなに良いものをつくっても、お客様の手に取ってもらわないとなにもはじまりませんので、現在はパッケージのイラストはイラストレーターの100%ORANGEさん、デザインは山形市のデザイン事務所・株式会社アカオニさんとともにつくっていますが、今後もモノの魅力の届け方にもこだわっていきたいです。

また、ここに醸造所を建てる計画もあり、実現したら自分たちでリンゴのお酒をつくるのが目標です。特に、日本ではまだ2、3社しか手がけている企業がないクラフトサイダーは、今後人気が出るジャンルだと思うのでチャレンジしたい。そして、いつか私たちの醸造所を人が集まれる場所にして、訪れた人がここを拠点に、最上のさまざまな場所へでかけて、地域の良さを感じてもらえるような仕組みづくりをしたいと考えています。そうやってものづくりを通して、地域にも貢献できるようになりたいですね。

株式会社日々
  • [住所]
  • 〒999-5101
    山形県新庄市昭和665
  • [TEL]
  • 0233-29-8900
  • [取り扱い商品]
  • 主にリンゴジュース・甚五右ヱ門芋
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次世代の灯り
その可能性を信じて

山形県山形市 /
株式会社 秋葉アトリエ

山形市にある設計事務所『株式会社秋葉アトリエ』の代表・秋葉圭史氏は、山形生まれの有機EL照明を使ったプロダクトデザインを、2006年から手がけはじめた。面発光であることや薄い形状で曲げても使用できること、発熱が少なく紫外線を出さないことなどの有機EL照明の性質を理解しつつ、住環境とのマッチングを理想とする建築デザイナーとしての目線で製作される氏の作品のなかには、すでに製品化されたものもある。また、ご自身も2018年にドイツで開催された世界最大の照明展示会「Light+Building」に出展するなど、精力的に活動を続けている。

有機EL照明をつかった、ご自身のものづくりについてお話しください。

秋葉 私がはじめて有機EL照明に魅せられたのは、その灯りとしての存在感を知ったときでした。“次世代の照明”などのキャッチコピーから、どのような灯りなのかと思いましたが、実際に目にするとその灯りはどこか儚ささえ感じるほどやさしく、まるで包み込むように辺りを照らしてくれます。私の本業は建築家なので、普段からひとつの製品としての存在感よりも、空間に溶け込むような灯りを求めていますが、その性質上さまざまな形状での使用を可能とし、自然光のような灯りを放つ有機EL照明は、ひとりのデザイナーとしてものづくりをする上で、夢中になれる素材なのです。

これまでも物質的な薄さと面発光の特徴を追求した作品や、灯りとしての存在感をできるだけ削ぎ落とした作品をつくってきましたが、まだまだ可能性に溢れています。照明として器具の存在を主張するものではなく、空間やシーンを邪魔せず、その場に同化するような控えめでやさしい光、私はそんな“さりげない灯り”の存在を目指しています。

最新の製品についての説明をいただけますか。

秋葉 とても柔らかな金属である錫(スズ)をはじめて使用したもので、切込みの入ったレコード盤のような状態から自分で好きなかたちに展開し、金属面に反射した有機EL照明の灯りを楽しめるものになっています。上下で大きさを変え、黄色と赤と緑の3色で内側を着色していますが、自由なかたちに伸ばしたシェードから漏れゆく色合いまでを、製品の特徴としてとらえて製作しました。
これほど自由度の高い照明をどのように使うべきか考えていますが、できれば、人のメンタルに働きかけるような情緒的な灯り、ヒーリングライトにも挑戦したい。これをきっかけに、有機EL照明のさらなる可能性を見出していくことができればと思います。

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木加工の優れた技術で
ぬくもりと癒しの時間を
提供する

山形県中山町 /
株式会社ウッド・マイスター
(杉山木工)

『株式会社ウッド・マイスター(杉山木工)』は、山形市と寒河江市に隣接する中山町にある。創業から80年以上の歴史を持ち、三代目が代表に就いてからは小さな工場ではあまり見ない、大型の木工加工設備を導入するなど、どんな形でも加工を可能としたその技術力で注目を集めている。

仕事をするうえで、大事にされていることはありますか。

杉山 木製品をつくり、お客様に届けることが私たちの仕事です。しかし、それは私たちの仕事の一面にすぎず、お客様が日々の暮らしを送るなかで木製品から感じるぬくもりや時間を提供しているのだと私たちは考えています。木材になる広葉樹は、成長にかなりの時間がかかります。木材として使えるようになるまでは、最低50年ほどの時間がかかる。それならば100年生きた木は、同じく100年の時間を、お客様と過ごしてもらえるような製品をつくりたいと思うのです。

そのためには製品の耐久性やデザイン、そして職人の技術が必要です。かつ、木工3次元加工を導入したことで、どんな複雑な図面からでも製品をつくれる体制を整えました。大型設備である5軸制御NCルーターと3次元CAD・CAMを駆使して、木製加工品の限界に常に挑戦していきたいです。

さまざまな製品を手がけられていますが、なかでもMUKUNEの音色には驚きました。

杉山 MUKUNEは、5軸制御NCルーターを使った3次元加工で制作した、スマートフォン用の木製無電源スピーカーです。音を拡声するために、蓄音機のラッパの曲線を模したカーブを、無垢材で再現することに注力しました。面白いのは、使う木材の硬度によって音の響が変わること。音質の好みはあるでしょうが、高音域を求めるなら硬い木材が適していて、そこに音が反響することによって、音源自体の音量の3倍ほどのボリュームに膨れ上がります。木管を通した音、自然物を通った音は、どこか優しさというものを感じてもらうことができ、生活のさまざまなシーンで利用してもらえるでしょう。木工品の可能性を広げることで、木工の楽しさを多くの人に知ってもらいたいですね。

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日本古来の木の
おもちゃは
地域の
新たな風土となる

山形県長井市 /
有限会社山形工房

長井市では、近年地域おこしとしてさまざまな取り組みがなされているが、その際立ったもののひとつに、競技用けん玉を“市の技(市技)”として定める条例の制定がある。そのけん玉の生産をてがけるのが『有限会社山形工房』。同社は競技用けん玉生産量の、国内シェアNo.1を誇っている。

長井市にはもともとけん玉など、木工品をつくる文化があったのでしょうか。

梅津 けん玉づくりという意味では、当社が独自で事業化したものですが、この辺りには古くから木地師文化というものがあり、伐採した地域の木材を加工する習慣は存在していました。けん玉づくりは祖父がはじめたものですが、創業当時は本人も、単なる遊びではなく競技としてのけん玉という文化が生まれ、シェアがここまで伸びるとは思ってもいなかったでしょう。現在は市技にも指定され、町でけん玉をしている人を見かけるようになりましたが、自分たちがつくった製品が使用されている姿を見ると、大きな喜びと励みになります。

競技用けん玉とは、どのようなものなのでしょう。

梅津 日本けん玉協会が定める、0.1mm単位での寸法や耐久性の規定をクリアしたけん玉のことを指し、このけん玉を使ってのみ、段位試験を受けたり全国各地の大会に出場することが可能となります。材質や比重はある程度自由で、比重の異なる木材を組み合わせることで、持ち手と玉のバランスをカスタマイズする方もいらっしゃいます。
けん玉づくりは、自然木が相手です。同じ木から切り出した木材であっても、ひとつひとつ比重や硬さが違うので、手に取った瞬間に硬いか柔らかいか、削り出しに最適な速度などを把握する必要があります。職人の技術があってこそ、できあがる製品なのです。

世界的な広がりをみせるけん玉の未来について。

梅津 SNSが中心となり、けん玉という日本古来の遊具は、世界的に認知度が上がってきています。当社でも、アジア圏をメインに、全世界で46カ国に競技用けん玉を輸出しています。先日も世界大会が開催されるなど、人気が広まってきていることを目に見えて感じることができます。私たちもけん玉の遊び方や技を多言語で紹介するアプリを開発するなど、少しでも普及の下支えになれるよう働きかけています。いつか海外の旅先で、カッカッカッと、けん玉をする音が聞こえてきたら面白いですよね。

Staff credit

粟野 智晴取材・執筆者(ライター)

1978年山形県山形市生まれ ライター。2004年から山形県で広告代理店兼情報出版社に勤務。2007年より同社タウン情報誌である「月刊山形ゼロ・ニィ・サン」の編集長に就任。2012年5月に退社しフリーランスとして独立。山形県の魅力探しに奔走している。

マチュ・モアンドロン取材・撮影者(カメラマン)

1978年フランス生まれ フォトグラファー。2006年に来日し、仙台の広告プロダクションで多くの広告やCMを撮影。2018年に独立。仙台を拠点にフリーランスのフォトグラファーとして活動中。フランス人ならではの切り口でシャッターを切る。

Back number

いいもの山形通信VOL01
いいもの山形通信VOL02
いいもの山形通信VOL03
いいもの山形通信VOL05

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